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山陽道 十九日目の街道歩き旅 【吉田〜下関(亀山八幡宮)編】
吉田〜小月まで
道標
JR小月【おづき】駅の北400mにある道標。
右 上方【かみがた】道
左 とよた(豊田)道。
下関へは写真手前を左に入る。
見廻り通り碑
見廻り通りと書かれた碑が建つ。
説明によれば、武士が庶民の暮らしや治安を見て廻ったとある。
長府駅周辺まで
長府駅周辺〜長府城下町散策
田上菊舎旧宅跡
田上菊舎旧宅跡(写真左手前)がある。
街道は、この先にある国道2号を渡る。
田上菊舎旧宅跡説明板
田上菊舎(1753〜1826)は、江戸期の代表的な女流俳人で、松尾芭蕉の奥の細道を逆コースで巡った女性でもある。
古江小路
錬壁【ぬりかべ】(粘土を練り混ぜた土塀)の続く古江小路。
城下町らしい風情をよく残している。
菅家長屋門
菅家は、長府藩祖毛利秀元に京都より招かれ、侍医兼侍講職を務めた。ちなみに毛利秀元は、毛利元就の四男・穂井田元清の長男である。
乃木さん通り
長門【ながと】の国府の地であったので長府という。
この町にゆかりのある明治の将軍乃木希典【のぎまれすけ】にちなんで、乃木さん通り(写真左に碑)と命名されている。
忌宮神社
忌宮神社【いみのみやじんじゃ】は、仲哀天皇(日本武尊【やまとたける】の子)が熊襲【くまそ】(大和政権に抵抗した一族)平定の際に滞在した行宮である豊浦宮の跡といわれている。
長府毛利邸
惣社町の長府毛利邸。
第十四代毛利元敏が、東京から長府に帰住した際に建てた邸宅。
長府毛利邸
城下町見て歩きコースの標識がある。
長府毛利家の菩提寺・覚苑寺は石垣を見ながら進む(写真右方向)。
長州藩侍屋敷長屋
壇具川(写真右)と長州藩侍屋敷長屋(写真奥)と侍町説明板(写真中央奥)が建つ。
長府藩武家長屋
長府藩家老職であった長府藩御馬廻役(220石)の本門に付属していたものをこの地に移設したものらしい。
手づくり郷土賞標
壇具川【だんぐがわ】は昭和63年にふるさとに恵みを与える川として、手づくり郷土賞(国土交通省)を受賞した。
功山寺
毛利家の菩提寺・功山【こうざん】寺。
高杉晋作(境内に馬上の像がある)の挙兵の地でもある。山陽道は門前から南西の方向に向かう。
市立長府博物館
功山寺の仏殿の隣に下関市立長府博物館がある。
ここは和同開珎や旧毛利家・幕末の志士などの遺物が展示してあり、前述の乃木希典に関する資料もある。
高杉晋作像
高杉晋作は、功山寺で挙兵した後、紆余曲折を経て薩長同盟を締結まで導く。その後、明治維新に向けて活躍するも、肺結核のため大政奉還を見ずしてこの世を去った(享年27)。
長府〜亀山八幡宮まで
壇ノ浦古戦場標識
平家一門滅亡(1185年)の地である。
バックは関門橋。近くに見も御裳【みもすそ】川公園があり義経と知盛像、安徳天皇入水碑 長州藩の砲台跡など見どころが多い。
砲台跡
この地は、幕末の下関戦争時長州藩の砲台跡であった。現在は5門のレプリカが海峡に向けて設置されている。実際にお金を入れると、空砲(?)を打つことができる。
源義経・平知盛像
ちょうどこの日は、源義経・平知盛像の除幕式の日だった!(2004.12.12)
左の武者は源義経、
中央が壇ノ浦の戦い(1185)で平家の大将を務めた平知盛である。
日本史の節目を刻む関門海峡 案内標
説明標の後ろは瀬戸内海が広がっている(写真奥)。
みもすそ公園
御裳川碑(写真左)、馬関開港百年記念碑(写真中央左)が建つ。
壇之浦古戦場標識
瀬戸内海に架かる関門橋(写真右)。
赤門神宮
悲運の安徳天皇と平氏一門を祀る赤門神宮。
楼門(写真中央)は竜宮城をかたどり、海峡を望んで建てられている。
赤間神宮水天門
安徳天皇の怨霊を鎮めるため源頼朝の命により阿弥陀寺御影堂が建てられた。
その後、明治維新の廃仏毀釈で阿弥陀寺は廃され、現在の赤間神社となった。
先帝祭
絢爛豪華な先帝祭。
これは遊女となった平家の官女が安徳天皇の命日に毎年、御陵に参拝したことに由来する。現在は5月3日をメインに前後の3日間。
春帆楼
日清戦争講和条約締結の会場となった春帆楼は街道の右手に面している。
史蹟春帆楼日清講和談判と刻まれた碑がある。
春帆楼
清国代表・李鴻章【りこうしょう】の席(写真中央)が見える。
ここ春帆楼は、ふぐ料理で有名な旅館でもある。
亀山八幡宮
ついに山陽道のゴールに到着である。
鳥居の左下にある道標に注目。
起終点 道標
これが道標のクローズアップ。
山陽道の側面に
長門國豊浦郡赤間関【あかまがせき】 とある。
赤間関は下関の旧名である。
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